なんか普通のブログっぽいことばっか書いててアレ

日本の教育では、「本物の日本人」は生まれない

言いたい事はそれなりに真っ当なのに、言い方が拙いので、炎上商法と思っておくのが良いかと思うんですけど、東洋経済オンラインを見はじめて日が浅いので、見極めが出来ている自信がありません。
というのはさておき

しかし、読者の方々から寄せられたメッセージや感想を見ると、なぜか「日本人にとって英語は必要か?必要でないか?」という点に、議論は矮小化されている。私はそんなことを論じているわけではない。

A.「真の日本人」の条件として挙げている四要素のうち「英語が話せる」が一番インパクトがある。
英語が話せないと、「真の日本人」になれない”なんてドヤ顔で書いたら、そりゃそこを突っ込まれますって。

A2.「真の日本人」の条件として挙げている四要素のうち新規性があるのが「英語が話せる」だけ。
「真の日本人」の条件として挙げているのは次の四つです。

1、日本に対する健全な愛国心、郷土愛
2、日本の歴史、文化に対する知識・理解
3、異文化に対する知識・理解
4、世界標準語(英語)を話せること

はい、大体どっかで見た事ありますよねー。4以外は。
ということで、この連載で見る価値があるのは、グローバルな人材()に英語が話せることは必須なのか、早期英語教育を導入すべきかどうか、の二点に絞られます。

英語に関して言えば、英語が世界標準語になった時点でこの議論は終わっている。世界標準語を学ばないか学ばなくていいかなど、議論する必要がどこにあるのだろうか?

知ってますか、英語なんて言うド辺境の島国の言葉なんて見向きもされずに、国際人達がフランス語で会話していた時代があったんですよ。
「国際標準語」の英語なんて、スタンダードはスタンダードでも、一番の俗物のデファクトスタンダードです。ただ単に使ってる人が多いだけです。ツールとしては良いでしょうけど、絶対視して良いものじゃないです。よっぽど安泰だとは思いますけど。

で、まあ、ツールなんですよ、英語ってのは。
「国際標準語」の英語はツールなんですよ。
コミュニケーションツールのデファクトスタンダードなんですね。
ツール、道具。

道具ってのは、使うの分かってたら勉強するのは悪くないですけど、別に必要になってから勉強しても問題ないです。それに道具の勉強が一番捗るのは「必要に駆られた時」です。のんびり行きましょう。使うときになったら使えるようになってますって。

そういう訳で「英語を勉強する」ことは大事だと思います。なんだかんだでコミュニケーションを取るなら、英語使うのが一番手っ取り早いです。ですが、インターナショナルスクールのような手段を使って、早期に英語教育を行うべきかとなると、違うと思います。
いや、やりたい人はそれでも良いと思うんですけど、日本語一本で母語を確立させる教育ってのは捨てちゃいけないと思います。

母語というのは思考のベースになる言語です。当然思考は言語に影響を受けます。英語で考えれば英語っぽく、日本語で考えれば日本語っぽく考えます。
で、英語と日本語って、面白いぐらいに違う言語です。

英語は屈折語で、日本語は膠着語
英語で動詞は名詞の次で、日本語で動詞は一番最後。
英語は動詞から名詞を作って、日本語は名詞から動詞を作る。

色々ありますね。
こういった多様性を保持しておくと、行き詰まったときの突破口になります。
偏った思考パターンばっかしてたら偏ったアイディアしか出てきません。色んな思考
パターンが必要なんです。

で、問題は日本語に英語レベルの思考が出来る機能があるかどうかですが、これは大体問題ないです。
日本語には高度な思考に耐えうる高級語彙が揃っていて、足りない語彙も柔軟に外来語から取り入れる機構を備えています。関係詞が無いのがちょっとツライ所ですが、論理的な文章を構築するには十分な文法を持っています。日本語は曖昧って良く言いますけど、日本人の日本語の運用が曖昧なだけで、論理的な文章書こうと思ったら、いくらでも書ける言語です。

こんな素晴らしい言語を母語として持てるのに、早期英語教育を行うんですか?
グローバルスタンダードな英語的な思考を身に付け、ローカルな日本語的思考を捨てさるんですか?

それは大きな文化的な損失だと思います。