燃えてました

意見:日本に必要なのは「金持ち優遇」が当たり前の社会 - BLOGOS(ブロゴス)

先日取り上げたエントリのBLOGOSに上がってたやつが、意見59件と盛り上がりを見せていました。
BLOGOSで盛り上がるってことは、まあお察しな状況なわけで。

で、こんなエントリを出しました。

匿名と実名で行動が変わってしまう「残念な人」との付き合い方 --- 内藤 忍

炎上→匿名批判しつつ相手しない宣言。
美しいコンボです。安定の繋ぎですねー。

さてさて、内容の方はと言いますと

先月の国政選挙でも、ネット上での匿名情報によって、意図的に間違えた情報が流されたり、根拠のない個人攻撃されたり、被害を被った政治家の人がいました。実名だったらこんなこと言えるのかと思うようなひどい内容もありました。

所で、その国政選挙で当選した「山本太郎」ってやつ知ってるか?


面白くない話はさておき、「匿名」と「実名」という括りは、このような文脈だとちょっと目が粗いんですよね。
例えばちきりんさんとか匿名としか言いようがないというか、実名とは言いようがないわけだけど、ここで言ってる匿名の「残念」な言動ってのはあんまり無いんですよね。
実名じゃないけど、積み重ねがある名前ってのは、同じ匿名でもちょっと重みが違うので、何かしら別の概念として捉えるべきですね。
さんざん言われている事ではありますけど。

実名出さないと責任感が薄くなるってのは分からなくもないんですけど、例えばどっかの大学の意識高そうなサークルの代表の誰々とかいう実名に、そういった責任感を期待できるかっていうと疑問符付くような気がするんですよね。
あと、日本のように失敗が許されない社会では、リスクヘッジとして実名を使わないのはとても合理性があります。
人間ミスをすることはあるものです。誠実に実績を積み上げていても、簡単なことで再起不能になることは十分にあります。そんなときに実名まで巻き込まれて再起不能に陥るのはとてもリスキーです。

匿名のメリットを、塀ではなく、命綱に使うのは、認めていくべきだと思いますね。

あと、このエントリのタイトルは、とても日本語的で面白いと思います。

『匿名と実名で行動が変わってしまう「残念な人」』というのは、エントリの文脈では「自分が」匿名か実名かで行動が変わってしまう人になります。このように読者に文脈解釈を要求する典型的な美しい日本語です。
ですが、このタイトルだけを見ると、「自分」ではなく「相手」が匿名か実名か、と解釈することも出来ます。

私も匿名の人からネット上で執拗に批判をされることがありますが、気にしないことにしています。その代わり、実名で寄せられた意見や批判には真剣に向き合って対処するようにしています。匿名と実名にはそれくらい、発言の重みに違いがあるのです。

自己紹介ありがとうございました。